物覚えもっと雑記帳

思考整理の為の超個人的な場所 ほぼ絵の話 一部noteにも転載

孤立していても大丈夫と思える

プチ雑記。

 

私は人生の中で孤独を感じることが頻繁にあります。それどころか実際に孤立しちゃうこともよくあります。長続きして相手から連絡を取り続けてくれる友人もほとんどいない。家族も、今は両親もいるけど結婚をすることは無い確信があるので、老人になる歳まで生きられるとしたら確実に独居老人です。

そういう人なら普通、孤独を恐れ将来を恐れるのでしょうが、私の場合それでも漠然と「完全に孤立して孤独になってしまうことはないだろう、大丈夫だろう、何とかなるだろう」という思いがあります。

 

それは単に、思考の傾向が楽観的だからというのも、老人になるのはまだ先で現実感が足りてないからというのもあるとは思います。でもそれだけでなく、なんというか、他人に対する漠然とした信頼感のようなものがあるんです。

 

私は今までずっと無関係な親切な他人に助けられてきたし、年を取ったらそんなことは減ると思っていたけど今のところそんなこともないし、それなら今後もなんだかんだ困った時に助けて!が言えれば、誰かしら手を貸してくれる他人がいてくれるんじゃないかなあ、という気がしています。

 

甘過ぎるだろ!と思いますか?

 

でもね、これは最近気づいたんですが、私ってどうも「他人に頼る・甘える」というのが得意なようです…。自ら助けて!をいうこともあるけど、他者から何かと気にかけてもらえることもある。容姿とかスタイルとかは全く良くないから関係ない。

 

ずっと漠然となんでなんだろう、運が良いなと思っていたんですが、少し前に「思い通りに相手を操る心のガードの外し方」と「デール・カーネギーの人を動かす方法」を読んで、自分が何か助けてもらえる時とか他人絡みでラッキーなことが起きる時って、それらの本で紹介されている、他者から良くしてもらえたり手を貸してもらえるようなテクニックを無自覚にやっていたんですね…。答え合わせが出来た気がして笑ってしまいました。

 

まあ、常にそういう態度を取れているわけではないですし、その分逆に酷い目に遭うことも多かったですし、残念ながら長い交流は持てないタイプなので、前述の通り”誰かの離れがたい友人”などにはなれずに来ていますが…(悲しいですね)。

 

それでも、人間って世の中に腐るほど溢れているから、数打つように声をかけまくれば短期間短時間でも誰かしらは反応をくれると思っているし(幼少期から誰彼構わず話しかけてしまうタイプでした)、まず他人も基本的には良心があるから知らない相手でも何人かは助けてくれるはず、みたいな人間に対する信頼がある。これは私が生きてきた中での実感なので、人によっては全くそうは思えない!となるかもしれませんね。

 

それと、それでもどうしても孤独を感じる時は、何らかの社会奉仕活動グループ、ボランティアに参加すれば良い、という考えもあります。人助けグループは基本的には善意のある人達だと思いますし、仮にそうでなくても、他人に関わることだけは出来るので。そこにいる他者とも上手くやれない場合も大いにあると思いますが、それならそれで極力他人と直接関わり合う必要のないものを選べば良い。

孤独感は社会との繋がりの希薄さ、居場所の無さ、承認欲求からくると思うので、偽善であってもとても小さくても、何かしらの施しをして他人と関わり合いを持ち、何かに少しでも影響を与えることが出来るなら、それで多少なりとも満たされるはず。そんな風に考えています。

 

いやいややっぱり甘いよ!と思う方もいるでしょうね。私もこう言いつつ、多少疑心暗鬼でもあります。でもこんな風に考えられれば、未来への不安が少し軽くなると思いませんか…?人付き合いなので、実際は本人の態度によるところも大きいでしょう。そういう人は上で挙げた本を読んで実践してみると、ほんの少しは信じられるかもしれません。

 

 

人付き合いに関係するのでちょっと紹介ですが、つい最近本ブログに「人から交流を断たれた時の心の立て直し方」という記事を書いたので、宜しければそちらもどうぞ。