物覚えもっと雑記帳

思考整理の為の超個人的な場所 ほぼ絵の話 一部noteにも転載

クロッキーだけじゃ駄目/曖昧にしない方が良い

クロッキーは、主にポーズを取った人間を描く練習に用いられる。短いクロッキーを反復することで描き慣れることができ、大体の体の形も次第に覚えられる。また、ざっとでも描いたことがあるポーズが増えることで、色んなポーズに対する抵抗感が減って手を出しやすくなるという効果もある。

 

ただ、クロッキーの技術はあくまで「ポーズ・動きのアイデアを描きとめる」為のものだと思う。写真でない生身の人々の姿を、僅かな時間で描きとめるという用途。

 

私のクロッキーは、線が重なっていたり荒れていたりと綺麗なものではなく、もっと少ない線で洗練されたように描きたいと悩むようになっていた。でも、それを第一に据えるのは少しずれているかもしれない。前に気づいたはずなのに、最近また整い具合に気を取られてしまっていた。

 

そもそも綺麗にバランスよく正確に描くには、クロッキー以外の勉強と練習が必要だ。短時間のクロッキーで捉えられる情報には限界があり、モデルが目の前からいなくなった後で細部まで描くには、別の知識や資料が必須。じっくり構造を学んだり、時間をかけたデッサンをしたり、細部をきちんと擦り合わせて清書する練習がいる。

 

私にはこの構造を学んだり、もっと時間をかけて細部をしっかり描くのも足りてなかったなと。最近の一番の悩みが「自然なポーズが描けないこと」だったので、まずは簡略的にとらえるため専ら短時間(1~5分)のクロッキーに集中していたのだけど…。

 

最近どうにも行き詰まりを感じるので、一旦もう少しじっくり、10分程度とか、もっと長いデッサン寄りの模写をした方が良い気がする。クロッキーを下書きにしてペン入れしてみるのも良いかもしれない。何より、人体構造も昔勉強したがあやふやなままの部分も多いので、あらためてしっかり学びたい。

 

 

話が少し変わるが、自分がやめられないことの一つに「線をちゃんと描かないこと」がある。解剖図の模写をする時とかクロッキー・スケッチとか、線を重ねて曖昧なままや形が歪んでいるのを認識していても、ちゃんと直さないまま終わる。

 

構造は清書しなければ覚えられないわけでもないし、クロッキーもポーズやバランスを捉えるなどの目的なら線を整える必要はないかもしれない。でも、その曖昧さの中で誤魔化しているものはないか?ちゃんと修正してある程度正しい構造をしっかり描き表すことで学びきれるのではないか。クロッキーも同じく、粗雑さにより出来ているか理解しているかの判断が弱まっていないか。清書する事で正しく見れているかの判断がしやすくなるのではないか…。そんな風に思う。

 

目下、クロッキーのタイムを気にしたりするより、この丁寧さを重視してみようと思う。