物覚えもっと雑記帳

思考整理の為の超個人的な場所 ほぼ絵の話 一部noteにも転載

絵の技術と好感について

例えばどんなに優れた肖像画でも、自分の子供が描いてくれた似顔絵への「好感」には劣るという様に、そもそも絵を含む作品は他者からの評価ならつまるところ「好感」が全てと言って良い。

いくら高度な技術があってもそれだけでは意味が無い。技術は表現に力を添えてくれるけど、核にはなれない。技術的に上手くなったところで、それが他者からの好感に必ずしも影響するわけでは決してない。

 

 

…というような考えを持っているので、私が上手くなりたいのは、他者に評価されたいとか誰かと張り合おうとかいう類いではなく、ただただ自分が理想とするものを描けるようになる為だ。しかしそれと同時に、他者からの好感というものを得られる自信がないからせめて上手くなりたくて、という理由もある。妙な話だけど、実際に好きと言ってもらえた事がいくらあるかは無関係に、ただ漠然と自分は他者からの好感を得られないという諦念のような気持ちがずっとある。これは何に起因するのか分かっているのだけど(トラウマじみた思い出だ)、また別の機会に話すとして。

 

絵の巧さも複数の要素の複雑な組み合わせなので、一言に上手いといってもその差してる要素が本人にも分からなかったりするし、冒頭の様な例は別として、他者の好感を得られないというのは、結局何かしらの要素の拙さ故なのではと思ったりもする。他人からの好感を得るというのも、ある程度はセオリーのある技術なんだろうと。

しかし、絵の好感は作者への好感とも親密に結びついてくるものだとも思うので、結局のところ最終的には本人が好かれないと駄目かもなあとも思う。