物覚えもっと雑記帳

思考整理の為の超個人的な場所 ほぼ絵の話 一部noteにも転載

費やせる時間と積み重ねてきた量とそれに対する羨望と嫉妬

最近、たった1年程度で画力が物凄くアップした漫画家(元々のレベルも高かったが更にズバ抜けた)を複数人見つけて、1年でここまで変われるんだ、どうしたらこんなに上達出来るのだろう、どんな努力をどれだけしたんだろう、と思い、更につい自分を振り返って進歩の無さを再認識し、その違いにかなり落ち込んでしまったのだが…。

 

いやいや、忘れちゃいけない。

同じ1年でも費やせた時間とそこで積み重ねてきた量には物凄ーーく差がある!

ということを。

 

こんな風に他者の上達具合をみて、自分の進歩の無さに落ち込むというのはよくやってしまうのだが、その度に上記のことを思い出す。「時間と手間をかけた絵と安易に比べるもんじゃない」にも以下のように書いた。

上手い人と自分では今までに費やした時間、絵習得へのアプローチ(学校に行ったり良い講座を受けたり)、今現在かけられる時間や精神的余裕が違ったりする。上手い人がさら~っと描いたように見える絵は、実際は下書きもしていたり時間がかかってるかもしれないし、本当に早く描けていてもそれまでの積み重ねが全然違うのかもしれない。

 

一旦、プロと素人を比較するなというのは置いてもらって…。

割ける時間。私は絵とは無関係のフルワーカーで割ける自由時間は平日3~4時間と休日。専業漫画家やイラストレーターの仕事時間は人ぞれぞれだろうが、仮に一般的な労働時間の日8時間/週40時間として、自分が空き時間目一杯割けたとしても、たった一か月でもかなりの差が出る。そして私は当然全ての時間を真剣な絵や勉強に費やせているわけではない…。

描いた量だって、分かりやすい漫画を比較すると、一年間で単行本を1冊出しているような漫画家と、漫画を描き始めてから今までの数年間で累計100pを超えるかどうか程度の自分とでは、そりゃあ物凄い差なわけで。

 

そう、同じ日数でも割けた時間と積み重ねた量が違うのだ。だから自分の上達具合が沢山時間が取れる人と比べて芳しくなくてもまあ仕方はない。というか当然でさえある。

 

それはいい。

ただ、そんな圧倒的な時間の差が今後も生活が変わらない限り続き、空き時間を目一杯費やせても自分を伸ばすには相当な期間がかかるだろう、ということを突き付けられて辛くなる。

 

別に私はプロになりたいわけではない。(そりゃお金まで稼げたらハッピーだが前に書いたように能力抜きで性質的に向いてない。)だが、イラストも漫画も油絵もそれぞれ憧れと理想とする人々が複数いて、その理想とするレベルに辿り着きたいという強い願望がある。

 

結局のところ、最初に言った漫画家たちが(それぞれ作風は違うがどれもみな)私の理想の延長線上に達していて、かたや自分はまだまだ遠く、今後費やせる時間も彼らに及ばず、現状のレベルにさえ辿り着けるのはずっと先か下手すると無理なのではと思えてしまうことが悔しくて悲しくて落ち込んでいるんだと思う。

自分の理想に近いところに遥か短期間で到達出来た人が羨ましくて嫉妬してしまっているというか。短期間といっても実質の時間は沢山あったであろうことと、実際に沢山描いてこれたことも羨ましい。

 

しかし同時に、彼らがそこに至るまでに沢山の努力があったことも容易に想像出来る。自分は能力不足だけでなく努力不足、その努力の方法や方向が最適では無かったなどというのもあるだろうと察せられて、それが余計に悔しい。絵は長年描いているけど、量も実質費やした時間も努力の質も、理想とする人々はじめプロレベルになれた人々と比べたらもう全然足りてないんだと思う。

 

こういう事があると過去を凄く後悔してしまう。サボっていたわけでなくても例えば、勉強や練習する内容をああじゃなくてこうすれば良かった、これは無駄だった、こういう資料を見てこういう風に描いていけば良かった、などの反省が無数に沸いてきて、なんて時間を無駄にしてしまったんだろうと落ち込みと焦りに苛まれる。

そしてそう思いながら、では今後それが出来るのか?どうせ出来ないんじゃないか?という不安も強く感じる。結局時間が無いとか体力がないとか精神力が足りないとかで手を抜き続けないか。たとえ心をしっかり入れ替えたつもりでも、多分今後も大して変われないんだろうなと半分諦めかけている。

 

絵を描き始めた人がどんどんすんなり自分を追い越して、私の理想の延長線上に辿り着いていくのを眺め続けるのは、やっぱりしんどいなあ…。どうしたら私もそこにいけるのかな…。