物覚えもっと雑記帳

思考整理の為の超個人的な場所 ほぼ絵の話 一部noteにも転載

AIでの絵生成がイラストを描く行為の延長線上に感じられない理由

ざっとしたメモ。本当にめちゃくちゃな殴り書きなので意味分からないかも。あとでもう少し詳しく書き直すかもしれない。

 

数か月前からAIでのイラスト生成が流行り、それについて色々な意見や感想を目にしてきた。

 

その中で自分が違和感を持ったのは、今までの絵を描く技術の進化の延長線上に位置づけている人がいたこと。主にAIを脅威に感じたり受け入れがたく思っている人に対しての反論で、今までだってデジタル化したり(他人が作った)素材をいわば切り貼りしたり、3Dを用いて出力するようになってきて、最初は抵抗があっても受け入れられてきたじゃないかと。

 

しかしこれらと昨今のAIの絵生成は、私の中ではいまいち同一線上に繋がらない。

 

というのも、デジタルは画材が変わっただけだし、他作の素材や写真を利用した作画なんかも組み合わせや加工に作り手の手作業が必要になる。つまり作り手の意思と審美眼が介入する作業がある。

 

一方AIは現状言葉での指定が主だ。(ラフを描いてそれに合わせて出力というのもあるらしいが…。)「出力」するのに要するのが、言語という概念的なものと、視覚+手による操作(3Dだって少なくとも配置を決めるくらいの作業はある)とでは、まだあまりにも隔たりを感じるのだ。

 

言語で細かく指定しある程度イメージ通りに出来るといってもまだランダム性は高い。むしろそのランダム性が頼られているところもあると思う。作り手のイメージを表現する為の行為と、本人ではないもの(AI)が偶発的に生んでくれるところが大きい行為は、やっぱりまだ違うなあと思う。

 

これは仮に今後脳内にあるビジュアルに限りなく近いものを出力出来るということになっても…実際、人間って実はそこまで詳細に「イメージ」(を意識)出来てないよね?というのもあるからだ。結局それは補助というか、本来は頭の中に存在しないものを補間するだけじゃないかなあと。